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バクっと受け止めてみましょう 面白いことになるやもしれませんよ? マカオと靴磨きとスタートレックにしか興味がない男の小話 by 勝田胸 満 Links
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・99%が運動不足 by わとらー
(04/07 16: 52) ・まごころ by Penguin
(11/24 15: 56) ・責任感! by nakajima
(11/16 01: 33) ・ by daidai9790
(11/10 12: 46) ・生々しい by penguin
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(09/22 18: 40) ・タイトル未入力 by あきるのです。
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2007年08月12日 (日) 17:15 17:15 * 編集
![]() その昔、私はいわゆる「健康優良児」という奴だったのだ 同い年の児童にくらべ体格もよく、また水泳をしていたため 食生活も同学年の子供よりもたくさん食べていたように思う 母は私のために栄養満点の料理を作ってくれていた しかし最近、記憶をたどるにつれて奇妙な気持ちになるのだった そうそれは紛れもなく「栄養満点」という言葉である なにしろ「満点」なのだ 非の打ち所がないのだ それは「満点だから」だ 満ちている、点を入れる箱に点が満ちているのだ ここまで堂々と言い切るのも気持ちがいい しかしまたもや疑問が浮かんでしまうのはもはやさけられない事実といえよう 何点が満点なんだろうか? おそらく大半の日本人はこう答えるのではないか? 「そりゃあ、100点だよ」と そこに何かしらのしがらみを感じるのはなぜだろうか? 何点でもいいだろう、そもそも100点も必要はないのだ 口にだしていってみるといい 「栄養100点満点」 なにかおかしい あきらかに「100点」はじゃまだ だからといって「栄養10点満点」では昔の体操競技になってしまうのではないか? 「栄養森末慎二」 おかしい 森末「栄養」慎二てなことになったらまるでクリスチャンネームのようだ たしかにあれだけの筋肉を維持するのは栄養価の高い食事を摂るする必要があったのだろうが、 それが本当に栄養満点だったかは謎である なぜならば何点満点かがわからないからだ だったら各々自分なりの点数にすればいい ちなみに私は7点だ 栄養7点満点 体によさそうだ なんとなく 2006年04月11日 (火) 12:58 12:58 * 編集
![]() いま、混迷の度合いを深めているのはハンバーガー業界なのではないだろうか? 外食産業の中でもファーストフード業界の競争は熾烈もきわめているようだが 私がよく利用するのはモスバーガーだ モスバーガーは旨い、旨い上にメニューが豊富だ、常に新しいメニューを試みている姿勢はすばらしい しかし先日奇妙なメニューを発見したのだった 「カツカレー」 少しめまいがした、いつからモスバーガーはカレー屋になってしまったのだろう 写真をみてまたびっくりだ 半焼きのご飯がパンの替わりをつとめ、その間にカツ、野菜連中がいて、最後にカレーだ 「ほんのちょっとのカレー」 果たしてこれはカレーと呼ぶべき代物なのだろうか カレーが乗っているからカレーだ、などという戯言を私が聞くと思ったら大間違いだ カレーが占めている割合など10%もないではないか カレーカツならまだ許せるというものだ 「それは言葉を逆にしただけだろう」という指摘はもちろん却下だ そんなバカな事を言う奴にはこう問いかければよい 「では君は「いい奴だが馬鹿」と「馬鹿だけどいい奴」は同じというのだね?」 と思わず「ワトスン君?」とつなげてしまいそうな言い回しだが、私はどうせ言われるのであれば 「馬鹿だけどいい奴」を選ぶと思う なぜなら結局そいつはどんな奴だと言えば「いい奴」になるからだ 同様に「美人だけどブス」と「ブスだけど美人」といった矛盾を含む言葉も同時に成立させる力を持っている その秘密は逆説を含む「だけど」にあるとおもう 「ヘタウマ」ということばがある 「下手だけど、巧い」 よく例に出るのが蛭子能収の漫画だ 巧くはないが味がある、とでも言おうか、いや違う だいたいなんだ蛭子能収とは 一発で「エビスヨシカズ」と読める人がいるのか? おりまい せいぜい「ヒルコノーシュー」が関の山だ だが「ヒルコノーシュー」という言葉がフランスの有名な食器デザイナーだ、と言われれば それはそれでそれなりの雰囲気をかもし出していることに我々は否定できない 「ヒルコノーシューの皿」 なんだかそれっぽい 毎年春になればヤマザキ製パンの「ヤマザキ春のパン祭り」が催される パンについているシールを集めてフランス製の皿を手に入れよう!といったものだ それのどこが「祭り」と関係があるのかはよく解らないが 来年からは「ヒルコノーシューの皿」にしてみればどうだろうか? 間違っても「蛭子能収の皿」としてはいけない 何やらヘタウマな絵が皿の底に書いてある シチューを食べていると次第にその絵がでてくる せっかくの旨いシチューもまずくなってしまうというものだ さしづめ「ウママズ」だろう 旨いナマズ、ではない 意味がわからない 2006年04月10日 (月) 17:20 17:20 * 編集
![]() なにしろ「丸出し」なのだ この潔さがいいではないか 「丸ごと、出る」のだ 「頭隠して、尻隠さず」とは大違いだ さしづめ「頭も出して、尻も出す」だ それでこそ「丸出し」だ 潔い 潔い言葉がその潔さを発揮するのは命令形になったときに顕著である 「丸ごと出せ!」 といわれれば人は 「ちくしょう、俺だってやってやるぞ、やるんだ俺は、男になるんだ!」 といったやけくそ感が出る そう、「丸出し」 は「やけくそ」から出発し、その結果得られるカタルシスを得る行為と言えよう その過程で必ず訪れる段階は「日常からの脱却」だ 「非日常への飛翔」 人生の醍醐味だ バカ丸出しな人間を、我々は笑うことは出来ない なぜなら、彼は「突破者」であるからだ 我々もなにか丸出しにしたいものである 丸出てこその人生だ 2006年04月10日 (月) 14:12 14:12 * 編集
![]() うだつの上がらない男とはどんな男なのであろうか? 仕事も出来ず、いまいちシャキっとしていない男を連想させるが そもそも「うだつ」とは何だ? 「もだつ」ではだめなのだろうか? ダメっぽさを表すのであれば「へだつ」の方がへっぴり腰ぶりがでていいのであろうが うだつの上がらない男がいるのであれば うだつの上がる男もいるのだろう 「うだつの上がる男」 違いのわかる男、のようだ しかし違いのわかる男はイメージもつくものだが、 やはり問題は「上がっている、うだつ」のようだ うだつのあがる男は、高く高くうだつをあげているのであろう 「おれだっていつかは高くあげてやるさ、富士山よりもエベレストよりも高く上げるんだ!」 その高くあげたうだつをどうするというのだろう? そんな奴のうだつがあがってたまるものか 悔しかったら、つべこべ言わずあげてみろ! 2006年04月08日 (土) 22:09 22:09 * 編集
![]() 我々人類が現在の姿になるまでに数百万年かかったといわれている 何も人類だけでなく生きとし生けるもの全てが絶えず少しづつ変化を遂げている 今現在の我々があるのは数百万年、いや生物が誕生した数億年前からの絶え間ない変化の結果なのであろう このことは普段の話でも起こりうることである 今では聞かれなくなった言葉であるが「男は40代になったら自分の顔に責任をもて」 といわれたものらしい 「男は顔が履歴書だ」 含蓄深い言葉である 顔を見れば、今まで何をやってきたか一目でわかるというのだ では女性の顔はなんなのであろうか? 独断と言われても仕方がないが、一般的に女性は化粧をする 「化粧」ばけて、よそおうのだ、これほどはっきり表している言葉も珍しい 女性は社会的に物心ついたころから化粧をする 毎日毎日化粧をする 化粧品の原価率は低い、一説によると0.6%らしい、 つまり1000円の化粧品の原価は6円だ 逆にいえば化粧品はそれだけ高いともいえる その高い化粧品を毎日毎日塗っては落とし、塗っては落とす そういう意味では「女の顔は領収書」ともいえるのであろう 「女の顔は領収書」 哲学的ではないか 今まで男にねだってきたブランド品も 食事代も旅行費も 女性の顔を見れば全てわかるのだ 阿木耀子は「女性は一度くらい容姿で飯を食ってもいいはずだ」と言ってモデルをやった この話の真偽はともかく、女性の容姿は経済に結びついている可能性は否定できない もう一度言う「女の顔は領収書」 哲学的である なんとなく 2006年04月07日 (金) 20:56 20:56 * 編集
![]() 十人十色という言葉に現われるように、人間はそれぞれ異なる考え方を持つものだ しかし「運動不足はよくない」という考え方にはみな異論がないのではないか? 今回は運動不足について考えてみたい よく考えれば運動不足という言葉は不思議な力を持っている 「あなたは運動不足です」といわれた場合、99%の人間は受け入れてしまうだろう 例えば医者にこういわれたとしよう 「背中の筋肉が弱ってますね、運動不足です」 そういわれたら「そうだよな、俺不足してたよ、運動」 と反省せざるをえず、そこにはなにやら「野菜不足」に共通する 「解ってはいるんだけどなあ、ついついやっちゃうよ」といったうっかり感が漂う そう、そのうっかり感がくせものだ うっかり感は決して人を強く否定はしない やんわりと真綿で首を締め付けるように人をダメにしてゆく また医者こういわれたらどうだろう? 「インフルエンザですね、運動不足です」 運動不足により内臓の働きが弱り、抵抗力が落ちるのだ まだある 「こりゃひどい虫歯ですね、運動不足です」と一見無関係と思われることをいわれても 運動が足りなければ、虫歯菌もはびこるものだ、運動が不足している体にもはや抵抗する力はない こう考えると、運動不足はあらゆる結果の原因になり、また運動不足を原因とした結果に対して 我々は抵抗する術を失う、完全に思考が停止する 部下に「すみません、遅刻しました 運動不足です」 といわれれば「それは仕方ないな」と言わざるを得ないだろうし 「今月いっぱいで会社を辞めさせていただきます、運動不足ですから」 といわれれば、どんなに彼を説得しても無駄であろう 民主党の混乱はおろか、偽メール問題も、そもそもは手軽で便利であるからと手紙も書かず、郵便ポストまで歩きもせず 電子メールばかりやっているからだ 考えようによっては便利な言葉だ 「運動不足だから俺と結婚してくれ」とプロポーズも出来れば 「先輩、おごってくださいよ、運動不足なんです」と言えばタダ飯にありつける しかしどうしても結婚したくない相手に 「運動不足だから、結婚してくれ」と言われればどうすればいいのか? 簡単である「ごめんなさい、運動不足ですから」と断ればいい 運動不足を解消するためには運動しかない あたりまえの話だがそれが出来ないから運動が不足するのだ 「一億総運動不足だバカモノ!!」 といわれても頭に来る奴はいないだろう もちろん運動不足だからだ 運動不足の根は深い 当たり前の話だが 運動音痴は運動不足になる 運動をしないからだ つまり運動音痴はそれだけで運動不足である 存在が既に運動不足 もしそんな奴がいるとすればなんと罪深い奴であろう ここまでくれば今回の締めも読めてくるであろう 奴は存在する 一億総運動不足の原因を作ったのはだれか? 運動音痴の象徴としての存在はだれか? 真の黒幕はだれなのか!! そうのび太である the・運動音痴であるのび太はわれわれ日本人の不健康の根源だったのだ のび太の罪はやはり深い 2006年04月06日 (木) 00:44 00:44 * 編集
![]() WBCでの日本の活躍はすばらしいものだった 5勝3敗で世界一というのも少々怪訝な感じがするが 劉邦は最後の1勝で天下統一だから「終わりよければすべてよし」なのであろう ところでWBCに始まったことではないが、野球を見てふと気づいたことがある ピッチャーがボールを投げる キャッチャーがそのボールを受ける あらかじめ決められたゾーンをボールが通過すれば、審判は「的中」を意味する「ストライク」を宣言する しかしここで奇妙なことが起こる ゾーンを外れた場合に審判は発する言葉は「ボール」だ 「ボール」 あたりまえだ、ボールなんだから ゾーンを外れたボールはただのボールでしかない しかしこう捉えると何やら哲学的な響きを持ってくる 「ボールは時として、ただのボールでしかない」 「ボール!」と審判が宣言するたびに我々はボールそのものに向き合うのである これが相撲だったらどうだろう、先日行われていた春場所では優勝決定戦で朝青龍が白皇を破り 見事優勝を遂げた、朝青龍は堂々たる横綱であるが負けた白皇はどうであるか? 「力士」である あたりまえだ、力士なんだから しかし、このことは我々に根本的な問いかけの機会を与えてくれる 土俵を割った力士、土俵に土ついた力士はただの力士でしかないが よくよく考えれば「力士」というネーミングもすごくないだろうか? 弁護士、他人を弁護する職業である 一級建築士、建築の設計に携わる職業である、しかも一級だ 二級土木施工管理技士、土木施工に携わる職業だ、二級だけど 改めて「力士」を考えると直接的かつ短絡的なネーミングであるが 力に携わる職業だ ここで疑問がわく 力士ががレンタルビデオ屋に行く、入会申込書には職業欄がある ここで彼らは書くのであろうか? 「力士」と それを見たレンタルビデオ屋のアルバイトはどう思うのであろうか? 何しろ力士である、でかい、マゲを結っている、一目見ればわかるだろう バイトはこう思うのであろう「やっぱりな」 しかし、マゲも結っておらずガリガリにやせて、毎日が激務なのであろう、顔色も悪く、 しかも着物でなくスーツを着た男が職業欄に「力士」と書いてきたらこうおもうだろう 「ホントかよ?」 こう思うかもしれない 「ウソをつけ」と あるいは新聞の投書欄に「最近の若者達は怖い、渋谷のセンターを歩いているといつオヤジ狩にあうかとビクビクしている(65才、力士)」 とあっても我々は困惑する それは「元」力士ではないのか?といった年齢に対する疑念ではなく 「力士」という職業に対する我々の固定観念だ いや違う、それは「力」そのものに対する固定観念かもしれない 固定観念はよくない なぜなら、「力」は時としてただの「力」でしかないからだ そんなことはどうでもいいが、何よりも私の興味は レンタルビデオで力士が何を借りるのであろうか? アダルトビデオだったらどうするのか? 興味は尽きないが、力士は時としてただの力士でしかない 余計な詮索は無用だ 2006年03月26日 (日) 23:29 23:29 * 編集
![]() 外国語を学ぶといやが追うなしに日本語との違いを感じてしまうのだが 「複数形」という概念もまたその中の一つであろう 英語の場合、語尾に「s」をつけて日本語の発音でいうと「ス」または「ズ」と 発音するのが一般的であるが、語尾を多少変形させたり、「s」でなく「es」とつけたりと少々ややこしく、 またsがつかない複数形もあり、比較的簡単と言われる英語であってもなかなか難しい たかが複数形と侮ってはいけないのである 高校時代のことだ、英語の授業で友人が先生に質問された 「おい○○、manの複数形はなんだ?」 sがつかない代表的な単語だ 答えは「メン(men)」だが彼は臆面もなくこういった 「マンズ」 sがついた 「おい○○、違うだろ、勘違いするな」 彼も気がついたのだろう 「すみません先生、間違えました」 そして彼はこう修正したのだった 「マンジズ」 更にsがついた おそらくスペルは 「manses」だろう お笑い業界でギャグやボケを二回、三回重ねて笑いの効果をあげる狙いを「天丼」というが これもある意味天丼と呼べるのだろう 日本語はあまり複数形という意識が少なく 「りんごが2個ある」というとき、わざわざ「りんごたちが2個ある」とはいわない 無理につけるのであれば「等(ら)」や「達(たち)」というのであろうが 少ないが日本語にもある単語につく複数形は決まっている それは役職につく複数形だ その名は「連中」だ 味わいのある言葉だ 「部長連中」「所長連中」だ 間違っても部長達といってはいけない 昨今、役職にも外来語が増えてきた CEOだのCOOだのCFOだのCとOの間にアルファベットを入れればいいと思っている バイス・プレジデントということばもある、直訳だと「副社長」だが 特に外資系企業の場合、本国から見れば部長くらいのものらしい するとこういうことになるのだろうか these men are all vice-presidents. 「彼らは皆部長連中だ」 さまになる だが 「彼らは部長連中だ」を英訳するときは these men are all vice-presidents. といってはいけない these manses are all vice-presidents. だ 恐らくこれも天丼というやつだ 2005年11月15日 (火) 00:49 00:49 * 編集
![]() 地下鉄のホームのベンチに座り、電車を待っていたときのことである 「ここ座る!」と小学校に入りたてと思しきガキが騒ぎながら私の横に座ってきた うるさいガキだ このガキは虫を捕りにいっていたのだろう、虫捕り網を持っていた いや、正確には持っていたのはガキではなく、付き添いできたおばあちゃんだった つまりガキはおばあちゃんと二人で虫を捕りにいった帰りなのだろう もしかしたらこれから虫を捕りに行くのかも知れない なぜならこの駅は住宅街のど真ん中にあるからだ 住宅街に虫はいない、夏ならば公園にも蝶が飛んでいようものだが 今は秋だ、虫はどこにいるのだ? 子供は相変わらず騒いでいる。 その騒ぎようは目に余る ここは公共の場だ、いくらガキとはいえ、いやガキだからこそ叱っておかなくてはならない ことであろう 「コラ!!、静かにしろ」と子供を叱った しかしその声の主は私ではなかった ・・・・付き添いのおばあちゃんだった しかも、である 彼女はその言葉と同時にガキの頭に虫捕り網をかぶせたのだ ガキの頭は虫捕り網にスッポリ収まった 虫捕り網の目的は虫捕りではなかったのだ すさまじい教育だ そこには一切の言い訳を認めない厳しい祖母の姿がある 頭にスッポリ虫捕り網をかぶせられた人間は、たとえ彼が成人であろうと よしんば総理大臣であろうとその状態で発する言葉に説得力は微塵もない 普通、祖母と言えば 孫を溺愛してしかるべきだ しかし彼女はその愛におぼれることなく厳しく孫を育てている そこには「男なら言い訳をするな」とも言うかのようだ 孫だからこそ、きちんと躾けなくてはならない そこに見るのはまさに「水よりも濃い血」からくる責任感だろう 見上げたものだ しかしもう少しやり方はなかったのだろうか・・・ 2005年11月08日 (火) 00:15 00:15 * 編集
![]() 現在、日本の会社名で最も多く使われている数字は21なのであろう 言わずもがな21世紀にちなんでいる事は明らかである 「21」を使えばあたかも時代に乗っているといわんばかりだ 21が入っているといって、正直そんなに時代に乗っている感はしないのだが、 やはりそこは時代の持つ空気がそうさせるのであろうか 新しく会社を興した経営者は「21」を使ってしまうのだった 「にじゅういち」と読むものはまだいい、「トゥエンティワン」などど 読んでしまった日には大変だ 言いにくい その昔、「1986オメガトライブ」というグループがいた このグループの読み方が 「ナインティーンエイティシックスオメガトライブ」 読めたものではない 彼らの事務所にはファンからの手紙が殺到したであろう 「言いにくいです」 「いちきゅうはちろくオメガトライブと呼んでいいですか?」 社長も考えたのだろう、しばらくして名前を変えた 「カルロス・トシキ&オメガトライブ」 ずいぶん言いやすくなったものだ しかし改名をしてしばらくして彼らは時代の波に飲まれていった 改名すべきではなかったのだ これから我々が学べるのは唯一つだ 「カルロス・トシキという奴がボーカルだ」 その指摘はおそらく正しい しかし全ての「個人名+グループ名」の個人名がボーカルだとおもったら大間違いだ 「内山田洋(うちやまだひろし)とクールファイブ」を見てみるがいい ![]() 一人だけ衣装の違う男がいる、彼が内山田洋か? ばかもの!よく見るがいい 彼は前川清だぞ 大体「内山田」という苗字はなんだ、内山でも、山田でもいけるぞ かっこいいじゃないか しかし時は経つものだ 後80年もすれば時代の流れは『22』に移る 「あれ?、もうすぐ22世紀だな、それじゃ22を使わなきゃな」 雨後のたけのこだ 80年後の世界は22で溢れている しかし内山田は内山田だ 内山田のカッコよさにはかなわない 誰が内山田洋か当ててみろ! わかるまい 内山田洋のカッコよさはそのインパクトのある名前とは裏腹に どこまでも控えめなその存在である 22世紀を向かえ、地球温暖化から大都市がたとえ砂漠になろうとも 人々の心が乾ききろうとも内山田洋は必ず、そしてひっそりと貴方の傍にいるのだ 1000%保障する 2005年11月07日 (月) 01:12 01:12 * 編集
![]() 秋である 秋と言えば読書の秋 たまには読書をしてみよう そうだな〜(のび太効果:今回は意味無し) シェークスピアでも読んでみようか シェークスピアをご存知か? そう、かの有名なイギリスの文豪である 当然のことながらシェークスピアは英語で書いてある 当たり前だ 中学生のときに学校で英語を習ったときの事を思い出して欲しい 当然のことながら身の回りの簡単な英単語から覚えて行くことになるのだが 「おや?」と思ったのは「brother」と言う単語であった 「兄弟」であり決して「兄」や「弟」ではないらしい 無理に兄と言いたければelder brotherとある言葉をくっつけるらしいが そのときの英語の教師の言葉は私には衝撃的であった 「英語では兄弟であることがわかれば兄か弟かは、さほど重要ではないのです」 兄弟のままで、それでよしとする感覚 つまり「上か下かは重要でない」のだ 日本人には考えられない話だ ここで考えられることは 「上か下かは重要でない」感覚があるのであれば 他にももっとすごいことになっているのではないか? そうである、上下とくれば左右である 「右か左かは重要でない」感覚もこの広い世界では存在するのではないか? 「右か左かは重要ではない」感覚 道があればこの感覚は霧散する 道が二つに分かれれば人は考えるであろう 「右か、左か」 駄目である 「最近視力が落ちてきたな、メガネでも作るか」 ああ、これも駄目だ 眼鏡屋に行ってみようものなら、あっという間に視力を測られてしまうぞ! 店員が「まず左の目から測ります」と聞く 貴方はいえるのか? 「右か左かは重要ではない」と 言えまい よしんば言ったとしても店員に 「それではメガネは作れません、こちらの目から測ります」と片方の目を無理やり計測機器 の前にさらされるのが落ちである 店員はまたも言う「輪のどこか一方が切れていますね、どの方向ですか?」 幸いに上か下が切れていれば答えることも可能であると言うものだ だがしかし、右か左が切れている時はどうする 言うのか? 「右か左かは重要ではない」と 言ってはいけないのだ それは我々の住む世界は「右か左かはものすごく重要だから」だ 右か左かは重要でない世界に行ってみたいものだ アフリカの大草原には道はない、狩をする種族は視力がやたらと良い 視力検査の必要もない アフリカの大草原に行って見るがいい 右や左は重要でないのだ しかし注意が必要だ 自分の視界の外からそっと肉食動物が貴方を狙っているかも知れない 気がつけば貴方の真後ろから貴方を狙っているかも知れない うかうかしていると食われてしまうぞ 「生きるか、死ぬか」それが問題だ 2005年10月03日 (月) 02:15 02:15 * 編集
![]() 人間は想像する人間である 実際に見ていなくとも言語を通じてなんとなく想像することが出来る 「赤いボール」 読者の頭の中では真っ赤なボールが浮かんでいるだろう どれくらい赤いかはともかく、赤は赤だ 赤ということに関しての個人差は重要ではない 次の言葉はどうだろう 「ガリ勉」 おそらくかなりの人がめがねをかけた痩せた人間を重い浮かべるだろう ここで「ガリ勉」は完全に記号化されていると言える メガネを掛けていないガリ勉を想像する人間はほとんどいないだろう いや、断言しよう、「居りまい」 私が頭の中で思い浮かべた情報が言語を介して別の人間の頭の中で再存在を達成する 言語は偉大だ、しかしその前提となるのは記号化である 名前は単なる記号とみなすことが出来るが あるイメージと強く結びついた記号化はそれを覆すことが非常に難しい 「黒柳徹子」 頭の中に黒柳徹子がいるだろう 私の書いたこの「黒柳徹子」の文字のせいで、この文章を読んでいる人間の頭の中には 黒柳徹子がいる 「なぎら健壱」 どうだ、なぎら健壱がいるであろう 黒柳徹子となぎら健壱 両巨頭だ なんの巨頭かはわからない しかしこの再存在化も記号化が達成されていなければ崩壊する 「この前打ち合わせした人間が変な奴でなぁ、ほら、よくいるだろう、 一生懸命勉強しているのに成績がぜんぜんあがらない様な顔してるんだよ」 ・・・・わからない、いったいどんな奴だ? 皆目見当が付かない どんなに想像力を働かせても全くわからない 記号化が達成されていないのだ「勉強しているのに成績が上がらない奴」について 我々は早急にこの件について記号化を確立させなければならない ここで「勉強しているのに成績が上がらない奴」のことについて考えてみよう 考えられるのは 1.物分かりが悪い 2.本当は勉強していない 3.違う所を勉強している つまり「馬鹿者」だ そうではないか 1はそのままだし 2も結局勉強していない 3にいたっては論外だ つまりはそういうことだ、と言うことのほどでもないが これから我々は次の結論に達する 「馬鹿者の記号化は無理」 記号化の壁は恐ろしく高い ※このブログを書くにあたり なぎら健壱氏の画像を使用した 彼は本当に絵になる男である、嘘ではない、ためしにgoogleのイメージ検索で「なぎら健壱」と検索してみるがいい、本当に絵になる、すばらしい男である、と私ごときに言われたくはないとおもうが 2005年09月30日 (金) 20:40 20:40 * 編集
![]() 何にせよ「緩むこと」は危険である 「気の緩み」これは危険だ、運転しているときに気を緩ませるととんでもない事になる、事故にあうからだ また、会社で緩んでいると「たるんでんじゃねぇ!!」と部長に怒られる 緩むことは危険だ 「地盤のゆるみ」これも危険だ、地盤が緩めば土砂崩れがおきる 建設会社は工事中の地盤の緩みに対して様々な対策を施しているだろう しかし、その対策を練ってい本人の気が緩んでいれば対策も緩んだものになる そして地盤は緩む 「たるんでんじゃねえ!!」とまたもや部長に怒られる やはり緩みは危険だ、緩み自体が危険だけでなく、緩みは連鎖するからだ これを「緩みの連鎖」と名づけよう 会議に出る、集中できない、気が緩む、そしてあくびがでる 緩みの連鎖はここにも現れる、誰かがあくびをすると他の誰かも必ずあくびをする 「緩みの伝染」だ、これは怖い、緩みは連鎖だけでなく伝染するのだ いままで私たちは「緩み」に対して無防備すぎたのではないだろうか そう、力が入っていないから無防備なのだ もっと引き締めなければならない しかし、力を抜いた状態が本来の姿であるともいえる ニュートラルな状態ともいおうか、それはたしかに力は抜けている するとこういうことがいえる 「世の中の本質はニュートラルに向かう事が基本であるならば 世の中の本質は緩んでいる」 これは恐ろしいことかもしれない ここで考えてみよう あなたはある本の一文を引用するときにどうしているのか? 本は開いたままでは引用できない、当然片手に本をもち、もう片方でペンをとり 読みながらノートに書き写す しかしパソコンに打ち込むときはどうしているのか? 両手はふさがっている 押し広げて広げた状態を保とうとしても、分厚い本ならふとした拍子に本はもどる そう、緩んでいるのだ 大変だ、どこを広げていたか分からない、また本をめくり始めるのだ 今度は広げた状態で、何か物を置くだろう、消しゴムや筆箱では心もとない、緩むから もっと大きく重い物だ、しかしそれでは引用したいとこが読めないではないか やはり緩むことは危険だ しかし、今私が一番危惧している緩みはNHKだ またNHKの社員が不正をするのではないか?と言うことを危惧しているのではない それは毎日やってくる 「昨日、神奈川県で男がコンビニエンスストアに押し入り、現金50万円を強盗し、 逃亡の際に店の客に刃物で切りつけ、被害者は重症を負いました」 恐ろしいニュースだ、こういうことがいつ我々に襲い掛かるかもしれない しかしキャスターは冷静に、かつ淡々とニュースを述べる。 報道の姿勢とはこういうことだろう だがしかしその次のニュースを読む際に、キャスターは報道の原則を堂々と破るのである 「さて、本日プロ野球セ・リーグの試合は、阪神甲子園球場にて阪神-巨人戦が行われ、 阪神が求人を5-1で破り、2年ぶりの優勝を果たしました」 ここだ!この瞬間だ!、キャスターの口元を見るがいい。 緩んでいる、ほんのわずかであるが確かに緩んでいる 確かに恐ろしいニュースを口元が緩んで報道するのは問題だが 阪神優勝は緩んでいる。 うれしいニュースなのか? ほほえましいニュースなのか? 冗談ではない、名古屋や広島でそんなことを言えば血祭りだぞ 今年は阪神が優勝したからいいものの、もし巨人が優勝しようものなら大阪は・・・ ニュースを見るときに注意することは、内容ではない、キャスターの口元だ 口元をみれば次に悲惨な事件なのかそうでないのか分かるのだ ニュースを見るのではない、キャスターをみるのだ 緩みは本当に危険だ 2005年09月27日 (火) 03:30 03:30 * 編集
![]() 「日常の中に非日常を生み出す」 私の人生の師は人生の醍醐味を一言でこう表現している 含蓄深い言葉だ 私はこの言葉を聞いてはや8年になるが、いまだにこの境地に達することが出来ない よく、麻薬の類を摂取すると常態とは異なる精神状態が発現するといわれる これは紛れも無く非日常だ トランス状態だからだ トランス(催眠状態などの場合に見られる、常態とは異なる精神状態、この状態では 通常の意識が失われ、自動的な活動、思考が現れる)広辞苑より 私の師はマージャンが好きである、徹マンと称して徹夜でマージャンをやることが多い 徹マンをやったことのある者はわかるだろうが、明け方に必ず陥る状態が存在する そう、「何を言ってもウケる、あの状態だ」 徹マンをやったことの無い者には皆目検討がつかないのであろうが これは本当のことだ 貴方はある牌を待っている、なかなかこない 待てども待てども来ない しかし信ずる者は救われる、お目当ての牌がまさにやって来た その時彼は、歓喜のあまり、こう叫ぶ 「来た、来た、来た、来た、キタキツネ〜!!」 大爆笑である、トランス真っ盛りだ 何しろ通常の精神状態ではないのである 言うことなすこと、馬鹿受けだ 「なんだ〜、こんな牌なんかいらないよ〜参りモリ!!」 大爆笑だ、キタキツネにはまだかろうじて意味を認めるよすがもあろうが まいりモリ!にはそれすらない まるで意味の無いことを言えば大爆笑がまっているかのようだ 次の男が言う「う〜ん・・・チョリモヒ!」 もちろん大爆笑だ、4人の中の一人は腹をよじって笑い転げているだろう 呼吸困難になる者もいる これはつらい、本当に苦しいのだ 笑っているのに苦しい 現代に横たわる病理はマージャンをすればよく分かる 理不尽だ 世の中の理不尽はマージャンの世界にこそ存在する そこにはまぎれも無く「日常の中の非日常」が存在する 私の人生の師は信念を身をもって実践している数少ない好漢である 参りモリだ 2005年09月22日 (木) 05:00 05:00 * 編集
![]() 「噂をすれば影」という諺がある ある人の噂をすればその人物がひょっこり現れるという事だ しかし私はこの事に意義を唱えたい 正しくは「影すれば噂」ではないのか? たとえばある人が自分の半径50m以内に近づいたとしよう その気配を無意識に感じ取ってその人の噂をしてしまうという理屈だ それは不思議なことではない Aさんが自分の前を通り過ぎたとしよう 「そういえばAさん、この前酒飲み過ぎてゲロしとったなぁ」 と思い出す これがたとえAさんの姿が見えなくてもAさんの声が聞こえたとしても 「そうそう、Aさん、この前〜」となるのも無理ではない それならばAさんが半径50m以内に近づいたときに 「そうそう〜」となっても不思議ではないだろう 人間の能力は実はものすごい事になっているのではないだろうか? 同じことが朝の目覚めにも言える 明日はどうしても朝6時に起きなければならない時に人はどうするか? そう、目覚ましを掛ける。 それは当たり前のことだ しかしこれが5年に一度の大切な出来事である場合、目覚ましがなる前に目が覚めたり したことはないだろうか? それも6時ピッタリに。目がパチリとさめた瞬間に目覚ましがなる 体内時計は凄い、のではない これは半径1km以内のどこかの家のTVがついていて、「6時のニュースです」 の「6時に反応したからである」 「TVは全て6時のニュースを流しているわけではないだろう」 という反論は認めない 考えてみるがいい、貴方が人ごみの雑踏のなかを歩いているときに 「○○さん」と自分の名前をよばれたときに貴方は無意識的に自分の名前だけに反応している 脳が無意識の選択を行っているわけだ ましてや睡眠しているときも脳は活動しているのだ いや、むしろ眠っているだけ他のことではなく「6時に起きねば!!」という使命だけに 集中しやすいといえよう このことから我々は次の結論にたどり着く 「人里はなれたところで眠っていると人は寝坊する」 こういうこともいえる 「貴方が眠っているときに、半径1km以内の誰かが、「あれ?もう6時?、違った5時か・・」 と不用意に間違って発言してしまうと貴方は5時に起きてしまう」 ここで間違って起きてしまった貴方も「なんだ、まだ5時か・・6時まで寝ようっと」 となどと不用意に発言してはならない 貴方の半径1kmで6時に起きようと寝ていた人は目を覚ます そしてその影響は繰り返される また眠ってしまえる人は幸せだ、一度目がさめたら眠いのに眠れない人もいる その人は眠いまま仕事に出かけ、眠いまま仕事をし、能率は上がらない 日本のGDPは確実に下がるであろう それは困る 人は一人では生きられない、それはたった一人で生きることが出来ないのではなく 人の干渉を受けないではいられないからだ もう6時だ、寝よう・・・しまった!まだ5時だ 2005年09月20日 (火) 22:15 22:15 * 編集
![]() 友人が結婚を決めた、その友人は将来の妻たる人物からしきりに「ゼクシイ」を読めと要求されているらしい そう、あの結婚情報雑誌だ 「ゼクシイ」 言葉の由来は全くわからないが 年頃の男子には、昔はやった文房具の「ボクシイ(BOXY)」を連想させる,車の、ではない ボクシイ あの独特の「B」の文字がカッコよかった、その昔、あらゆる男子はボクシイの鉛筆やペンをもっていたはずだ あれから長い時間がたった、つい先日文房具屋で筆入を売っていた PUMAの筆入だ、そこについていた宣伝文句が奮っていた 「男の子ならPUMAです」 確かにそのとおりだが、我々の世代はちと違う、ボクシイなのだ 「男の子ならBOXY」です ジェネレーションギャップという奴か? その結婚を決めた彼のブログの中で彼はこう書いている @@@@@@@@@@@@@@@@@@ 僕が、、ゼクシイ、、、、買える???? こんな大男がだぞ!!!! 買ったらこんなシチュエーションだろう。 僕『ゼクシイはどこですか?』 店員『そこです(笑)』 いまいち伝わらないか? 伝わらない人はこちらを想像していただきたい。 コンビニ(たとえばサンクス)でK-1の武蔵が店員にゼクシイをさしだす情景を。。。。 なんとも哀愁が漂い、、かつ切ない情景だろう。。。 買えない、買えない、ゼクシイ反対。 男版の『ゼクシイ男組』でも作れってーの??? @@@@@@@@@@@@@@@@@@ おそらく結婚の予定のない女性でもゼクシイを読むかもしれないが 結婚する予定の男性ですら読もうとしないのだから 結婚の予定のない男性は読む事はそうとう稀である 実は私はゼクシイを読んだことがある あの雑誌を読むとさまざまなことを知ることが出来るが しかし、一番初めに知ることがある それは、結婚産業にリクルートがうまく入り込んだ事でも リクルートが女性に対し異様なまでに結婚をあおっている事でもない 「ゼクシイは結構重たい」 あのずっしりとした重量感 あの重量には必然性があるとみた いままで箸より重たいものを持つことのなかった女性であっても これからは家庭を担っていかねばならない その重さはこんなものではないが、これくらいもたなくては・・・ 秘めたメッセージだ ゼクシイがその雑誌を発行するに当たっての基本コンセプトには必ず まず第一に「重いこと」が挙げられたであろう 編集長「重さはどれくらいだ?」 スタッフ「430gです」 編「軽い!!、もっと重くしろ!!」 ス「しかし・・」 編「バカモン!!これからの女性はなぁ、家庭をもつ女性はなぁ たくましくないといかんのだ!!」 ス「は、はい!!」 編「結婚してからじゃ遅いんだよ!!」 こういったやりとりがなされたに違いない ゼクシイの重さには訳がある 世の女性は秘めたメッセージを感じ取っているのだろうか? そうそう忘れていた、友人のコメントにもある「男版ゼクシイ」の件だが 私はリクルートに提案したい これが通れば売り上げは、ほぼ倍増だ 中身はゼクシイそのままで、タイトルだけ「ボクシイ」に変えた雑誌を発行すればよい そしてコンビニの本棚に、こう書いた紙を張れば一発だ 「男の子ならBOXYです」と 間違いない、それは男の子ならBOXYだからだ 世の中には理屈の通らないことが多すぎる 2005年09月19日 (月) 01:18 01:18 * 編集
![]() 以前、「日本食糧新聞」の事について書いた 現在、日本では漬物業界がとんでもないことになっている事になっているらしい この事は日々何気なく生活していることに、注目すべき事は星の数ほどあるということ を我々に教えてくれた 注意してみると社会には、様々な業界が存在する おそらく業界の数だけその業界のホットな話題を発信するべき業界誌が存在する 何しろ、業界の専門家が書くのだ、そこには普段我々が気づきもしない事が指摘されているだろう そこで今回は、数ある業界誌の中でも「お母さん業界」について取り上げたい 「お母さん業界」、こういう業界自体が存在する事が驚きだが、そこには確かに「業界」存在していた ちなみに「月刊 お母さん新聞」からの目次を一部引用してみよう 「山口さん特集」 来た、いきなり来た。「山口さん」の特集だ、おそらく「山口」の由来から、全国の山口さんについて 様々なレポートが満載なのだろう。 ここで考えられるのは「山口」の由来だが、おそらく「山の入口」つまり山のふもとなのだろうが、 推測はここで終わらない、ここで重要なのは「山の出口」だ、山の出口はどこか?、そう山のふもとだ 入口は出口なのだ。何をいいたいのかさっぱりわからない。 「八面六臂『浮いちゃうお母さん業界』」 どうやらお母さん業界とは浮いてしまう業界らしい、確かに異彩を放っている、誰も追いつけないほどだ 「新しい教育のウエーブDREAM PLANET PROJECT『本気』の人間11人が集結!」 このままでは日本の子育てはまずいことになるのだろう、ここで立ち上がらないと日本の未来は暗い、 11という数字が暗示的だ、サッカーの日本代表とかけていることは容易に推測される 子育てJAPANだ 「木村政雄の人のふりみてどないすんねん『つっこみ役はお母さん』」 「井口流 子育て勉強会」 子育てにも流派がある、「お宅の子育て、何流?」「私、井口流」「まあ素敵!井口流なんて」「裏ですけどね」 「うらでもいいじゃない、井口流は井口流よ」ブランド化の波はここまで来た 「明日はどっちだ『イイ子です』 「あんたんちの子、人のいうこと全然きかないんだよ。」そう近所のオヤジにいわれて・・・ いった言葉が「宅の息子はイイ子です」なのだろうか?言い訳にもほどがある と読む者の興味を引きつけて離さない、すごいラインナップだが、やはりお母さん業界だ、お母さんならではのトピックも 満載だ 「プレゼント 読者発」 もうこうなるとプレゼントではない、新聞がプレゼントを提供するのではない、読者がプレゼントを 各々持ち込むのだ、もはや物々交換だ 「全国で香ちゃんを捜してください」 行方不明者の捜索かなにかか? 「八面六臂『母親のビートを感じる』」 「完ちゃんの『親しき仲にもスキルあり』」 プレゼントくのいち主婦見参「イケメン特撮ヒーローに夢中!」 終わりの方は無茶苦茶なタイトルになっているのだが、極めつけは最後のこのお知らせだ おかげさまで「ブラボー子育て21家庭保育園事業」を終了しました、皆様のご声援まことにありがとうございました! 終了する気も分からないではない やはりお母さん業界だ、我々はお母さん業界を無視することは出来ない 世界は広い 2005年09月05日 (月) 00:21 00:21 * 編集
![]() 今の日本人が失ったもの、そして今の日本人に必要なもの それは鋼の精神力ではないか? 昨今の教育は鋼の精神力を養う事にはとかく不向きである 競争をさけ、争いを好まない人間を育てる そんな人間は駄目である 「強くなければ生きて行けない、やさしくなければ生きていく資格がない」 レイモンド・チャンドラーの小説の有名な言葉だ 現代の教育はやさしくあることばかりを求め、強くあることをおざなりにしている 「強くなければ生きて行けない」 このことを我々は強く自覚するべきである 鋼の精神力はまさにこの「強い」精神力の象徴といえる なにしろ鋼である、鋼は硬い、硬すぎだ しかし鋼の精神力とはいったいどういうものであろうか? プレッシャーに負けない心は確かに鋼の精神力であろうが 誘惑に負けない心はもっと強い心だ 我々はプレッシャーに負けないことはプレッシャーに耐えることである程度克服できるが 誘惑には抗えない 「ついやってしまう」 それが誘惑だからだ 酒 博打 女 「飲む・打つ・買う」いわゆる誘惑の3点セットだ しかし私はこれに 「吹く」を追加したい 「飲む・打つ・買う・吹く」の4点セットだ どういうことか? たとえば、あなたがよその会社に打ち合わせに行き、会議室に案内されたとしよう 「しばらくお待ちください」と案内係に言われ、あなたは待つ ふと見ると目の前に小さな笛が置いてある 体育教師が吹く紐のついたやつだ ケースに入っている、 メモがある「汚くありません、消毒済みです」 あなたはその笛を手に取る そこであなたは笛をふかずにいられるか? できまい 断言しよう、必ずあなたは笛を吹く しかも最初はそっと吹くであろう そのときの音色はこうだ 「ぴゅ〜るひひ〜」 かぼそい、蚊の鳴くような音だ あなたは次に強く、短く笛を吹く 「ピッ!」 歯切れがいい もう一度吹く「ピピッ!!」 気分は体育教師か、審判だ いずれにせよ、あなたはもう会議室にはいない、心はグランドだ 体育教師にせよ、審判にせよ、そこのグランドでは支配的な立場だ そこに打ち合わせの相手が現れる「すみません、お待たせしました」 あなたは笛を吹く 「ピー!!退場!」 かくして打ち合わせは流れ、あなたは仕事で失敗を犯す 危険だ、吹くことは身を持ち崩す もうお分かりであろう 「飲む・打つ・買う・吹く」の意味が 鋼の精神力とは誘惑に打ち勝つ勇気だ しかし小さな笛の前では人は多分に無力である 2005年09月01日 (木) 23:54 23:54 * 編集
![]() その昔、新幹線の名前は「ひかり」と「こだま」だけだった なにしろ「ひかり」だ 名前が奮っている 秒速30万kmだということはすでに述べた そこまで速くなくともこれまた速い「音」である「こだま」がラインアップ されている事は極めて興味深い しかし技術の進歩は速い 「ひかり」より速い新幹線が可能になり実用化の運びとなる そこで困ったのは名前ではなかったか? 何しろ光より速く移動するモノはない 困った 「光より速いモノがあったらなあ‥それも高望みか‥ まてよ、のぞみ? 人の気持ちは光の速さを越えるじゃないか! これだ!」 かくして新幹線のスピードは音の世界から光の世界 光の世界から精神世界へと進化した だがしかし たまたま彼がつい口にした言葉が「高望みか‥」 だったからよかったものの、もし彼が 「光より速いモノがあったらなあ‥それも無いものねだりか‥」 と口にしていたら大変だ 『「ひかり」より速い新型新幹線誕生!その名も「ねだり」』 こんなCMが流れるのだ、やりきれないだろう 、第一何よりも乗りたくないではないか「ねだり」なんて 乗るのはキャバクラ嬢だけだ 》ねだり158号は16時43分に発車します《 そんな電車にのるものか 一刻も早く「ねだり」より速い新幹線を作るべきだ 名前は「同時」にしてみないか? それより速くはもう出来ない ご存知のとおり実はJRは最新型新幹線「同時」の開発は 切符レベルでの実験は成功している(48 時空を超える旅 より) そしてそのときこそ「時をかける少女は」リバイバルヒットを飛ばす 時ではないだろうか? そんなもの それこそ無いものねだりではないか? 2005年08月31日 (水) 23:54 23:54 * 編集
![]() 今、私はPCの前にいる PCは数年前に比べ、ずいぶん安くなった とはいえ、おいそれと簡単に購入できるものではないのも確かだ 世界は広い 数万から数十万する買い物だ、しかもノートパソコンは驚くほど小さい 今まで私は3台のPCを買った 買ったばかりのパソコンの箱を持ち帰る 通信販売で買ったPCもある いずれにせよ箱を明け、初めて電源ボタンを入れるときの気持ちは 独特だ なにやら期待感を漂わせる 全世界でいったい何台のPCが存在しているのだろうか? おそらく数億台に違いない 仮に全世界に今まで10億台のPCが出荷されたとしよう 10億台あれば10億回の「初めての電源ボタンを押す瞬間」 が存在する 私が注目したいのはそこで何が起こっているか?である 大半は何もトラブルが起きずに新しいPCライフがスタートする 今までとは格段のスピードで動くマシン 快適だ しかし極々僅かであるが、悲惨な状況に陥る場合もあるだろう なんせ10億台である、いかなるケースも存在するだろう 「初めて電源ボタンを押したら、壊れた」 これは厳しい、期待感もあったものではない、初めての電源ボタンを 押すこの瞬間が一番嬉しい瞬間 といっても過言ではないのに、あんまりだ これが「通信販売で買ったPCが届かない」のであればまだ諦めも付く 期待感がピークに達してないからだ モノがあるのに使えない このもどかしさが悲劇をより演出する これを「Pの悲劇」と名づけよう しかし10億台もあればこういうケースは数百台はあるのではないか? 私が求めているのは「もっと悲惨なPの悲劇だ」 「初めて電源ボタンを押したら、火を噴いた」 これは壊れるよりも悲惨だ、何より危ない、期待感は一瞬にして パニックとなるだろう しかし、PCはもともと熱を発する電子機器だ、考えたらない わけではない 何しろ10億台だ、こういうケースは過去に数十台はあるのではないか? もっとよく考えてみよう、初めて電源ボタンを押すという期待感 の極みは初めてPCの箱を開ける瞬間とほぼイコールだ 初めてPCの箱をあけ、ビニルに包まれた真新しいPCが顔を出す 礼儀正しい人間ならばこういわずにはいられない 「こんにちは」 もちろん野球部出身ならば 「ちわっす!」だろう 話がそれた その初めての挨拶が出来ない状況は悲劇だ つまり 「初めてPCの箱を開けたら、箱だけだった」 Pの悲劇だ、だれがなんと言おうとこれは悲劇だ 箱があるのに中身がない、これを悲劇といわずして、 何が悲劇というのだ? だが世界は広い、まれなケースであるがいままで数台はありうる話だ 次の場合はどうだろう 想像してほしい 「初めてPCの箱を開けたらコンニャクが箱いっぱいに入っていた」 考えうる最も悲惨なPの悲劇はこういう場合ではないか? これより悲惨な悲劇はこれしかないだろう 「さっきコンニャクを食べたばかりだった」 Pの悲劇だ、最悪だ 初めてPCの箱を開けるときは注意した方がいい もちろんまかり間違ってもコンニャクを食べた後は注意が必要だ 悪いことは言わない 世界は広い、何がおこるかわからない 油断もすきもあったものではない Pの悲劇はこのことを我々に教えてくれる 2005年08月30日 (火) 23:03 23:03 * 編集
![]() 男子たるもの、仕事の出来る男になりたいものだ 仕事の出来る男は一味違うが、その「違う一味」を説明する事は難しい 「○○さんは仕事が出来るから、素敵」 こう女性が言うとき、彼女は何を持って「仕事が出来る」と判断しているのだろうか? 出張帰りの飛行機に乗った時の事である、その便の飛行機は満員で、座席は全て埋まっていた 旅行帰りの者、出張に向かう者、帰る者、何をやっているかわからん者 機内はさまざまな人でごった返していた 私の隣い座った30前後の会社員らしき男性もまた出張の途中らしき様子であった 小脇には書類袋、腕には背広の上着をかけていた 一方の手には小さなアタッシュケースを手にしている 「お、出来そうだ」 書類袋・脱いだ上着・ケース 出来る男の3点セットだ 出来る男は一味違う その3点セットがビシッと決まっていた 「これでケースの中身がノートパソコンならば完璧なのだが・・・」 私の心配は杞憂であった 彼は私の横に座ると、やおらアタッシュケースからモバイルPCを取り出した さすが出来る男、当然だ 彼は書類袋から新聞の1ページを取り出した 狭い機内だ、否が応でも目に入る どうやらある業界にだけ出回る業界新聞という奴だ 日刊建設工業新聞 日刊木材新聞 日刊自動車新聞 ・・・・ 彼が手にしていたのは 「日本食糧新聞」だった 何しろ食糧新聞である、食料ではない 主食、我々日本人にとって最も基本的な食べ物だ 食糧が尽きては国は滅びるといっても過言ではない ある意味これほど無くてはならない新聞はないだろう やっぱり出来る男は目の付け所が違う 彼は食糧業界の人間ではないかも知れない 彼はその新聞に付箋紙を貼り付けてメモを書いていたり ところどころにマーカーでチェックをしていた やはり出来る男は違う、詳細にその記事を読み解いていた 何の業界に限らず、今一番重要な話題が一面に載るのは当然だ 食糧業界で一番重要な話題、それは日本で一番重要な話題だ 9.11総選挙など問題にならない 今我々が知っておかなくてはならないことがそこにはあるはずだ その日の日本食糧新聞の一面はこうだった 「漬物業界は今、未曾有の□□□□!!」 □に彼は付箋を貼っていた 読めない なんと書いてあるのだ? 「未曾有」 我々はよっぽどのことが無い限りこの言葉は使わない、いや使えない 未曾有(みぞう)今まで一度もなかったこと。きわめて珍しいこと。 (三省堂提供「大辞林 第二版」より) こんな大変なことが起きているのだ 何が起きているのだろうか? 考えれば考えるほど気になって仕方が無い おそらく我々が思いも付かなくとんでもない事が起きているのだ 国家機密だ それを食糧新聞はスクープした 彼は彼自身の判断で、いかなる状況でも情報の取り扱いには細心の注意を払っているのだろう 飛行機の横に偶然座った男にでもこの情報はうかつには見せられない 出来る男は用意周到だ やはり一味も二味も違う 私は現在の日本が抱える未曾有の大問題に心を痛めつつ家路に付いた 夕食はサバの塩焼きだったが、きゅうりの浅漬けも食卓に登っていた あの彼も東京のどこかで漬物を食べているだろう その味は普通のモノとは一味も二味も違うに違い無い なぜなら彼は出来る男だからだ 出来る男は一味違う、そんな男は違いのわかる男に違い無い 出来る男に私はなりたい 2005年08月24日 (水) 23:59 23:59 * 編集
![]() 新幹線の通路ドアの真上にニュースが流れるのは知っているだろう そう あの右から左へ文字が流れるやつだ 「◇朝日新聞ニュース◇」 と右から流れる文字を拾い読みする 明らかに入力ミスだろうが、こういう文字が流れてきた 「KDDIと東京電力が通信分野で全面提携っすることを発表」 提携の後の「っ」は明らかに余計だが、それを指摘することはたやすい しかし問題は列車の中で起きているのではなく、現場で起きているのだ ここでいう現場とは実際のニュースの入力を行っている コンピュータの前であろう そこでは何が起きているのか? おそらく入力ミスを犯した彼は野球部出身だ しかも小中高大学と 足掛け10年以上野球部だったのではあるまいか 長年の野球部生活で培われたもの それは 「言葉使い」であろう 「ちわっす!」 「そうっす!」 「了解っす!」 「自分っす!」 「おざっす!」 「あざっす!」 独特の語尾を端折る言葉だ 野球部に限らず体育系部活全般に見受けられるが、 やはり王道は野球部だ 彼もまた野球部魂を持つ男である 野球部を引退しても魂は健在だ 彼は本当はこう書きたかったに違いない 「KDDIと東京電力が通信分野で全面提携っす!!」 彼は自分自信の理性は騙せても野球部魂は騙せなかった 私はその「っ」に学生時代、いや青春の全てを野球に捧げた 彼の魂の叫びを聞いた 部長が暴力事件を起こした野球部の部員はかわいそうだが、 野球部魂は不滅である がんばって欲しいっす 2005年08月23日 (火) 22:11 22:11 * 編集
![]() たまには時事的なことも題材にしてみよう そうだな〜(のび太効果) 「愛・地球博」ってのはどうか? 「愛・地球博」に何を見出すかは人それぞれだ 「参加者各々が地球博で見た事・聞いた事・感じた事を通じて 身近な問題から取り組んで欲しい」 主催者の願いだろう 私は地球博に行ったことはないが、メディアを通じて地球博を体験している 地球博は8月18日に入場者数が1500万人を突破したそうだ 500万人目の入場者が記念品を手にした記念写真がHPに掲載されている お決まりの奴だ 私が問題としたいのはどうやって1500万人目を決めたのか?ではなく 1500万人目に至るまでの過程である おそらく入場ゲートの前には毎日長蛇の列が出来ているだろう ゲートはたくさんあるだろうが、そのどれかを誰かが通過したときに 高らかに音楽はなる ♪パ〜パラッパッパ〜!!おめでとうございます!!貴方が1500万人目の入場者です!! よく考えて欲しい 何しろ1500万人目の記念入場者だ セレモニーも馬鹿には出来ない、おそらく盛大だ 1000万人目は記念品としてダイヤモンドをもらったらしい それでは1500万人目は車でももらわないと話にならないだろう そして少なくとも数十人のスタッフが、このセレモニーに参加しているだろう 彼らは1500万人目の入場者がゲートを通過するまで周辺で待機しているのか? まさか直前までどこかで隠れているわけでもあるまい 入場ゲートのすぐ近くに待機しているだろう そうだとすればその光景はこういったものではないか? 「おっせ〜な〜、まだかよ〜1500万人目は〜!」 と暇をもてあましながらバイトはタバコをふかす 長蛇の列を作っている入場者はその言葉を耳にする そして思う「俺に1500万人目が当たるかも」 「おい、そろそろか?」 「いえ〜まだあと1529人で〜す」 「そんなにかよ!」 バイトは文句をたれる タバコはますます増える 期待した入場者は落胆する。俺じゃないのか・・と 「もうそろそろだろう?」 「そ〜ですね〜、あと18人です〜」 「よ〜し、じゃあカウントダウンでもするか!」 「17!」 「16!」 「15!」 ・・・・・ とカウントダウンを始めたら大変だ 入場者はとたんに自分の前に並んでいる人数を数えだす 「おいおい、おれは1499万9999人目かよ!」と 彼はどういった行動に出るだろう もちろん後ろの人に列を譲るだろう 「どうぞ、私の前に来てください」と しかし譲られた方も簡単には応じない、このままこの位置をキープしていれば1500万人目だ やすやすと譲る理由もない 「いえいえ、お構いなく」 「いえいえ、どうぞどうぞ」 「いえいえ」 「いえいえ」 ラチがあかない このバトルはカウントが0になるまで繰り広げられる 譲り合うことにお互い譲らない 「3」 「2」 「1」 彼らの短くとも濃密な時間は終わりを告げる 1500万人目の入場者は最後まで譲らなかった 「やった!!1500万人目だ」 ファンファーレの準備だ 「あれ〜、すみません、間違えました、後3人です」 ・ ・ ・ おい!! かくしてまったく無防備だった人が車をもらい 最後までバトルを繰り広げた二人の努力は水泡に帰す 彼らは地球博どころではないだろう 何が間違ってたのか? 誰が悪かったのか? そう、人数を数え間違えたバイトである 彼は確認することを怠った 確認する事、それは社会生活を営む上で最低限必要なことである だがこの話は終わらない 「バカヤロウ!間違えやがって、確認しろよ!!」 「すみませ〜ん」 「大体、そんなタルい喋り方してるから間違えるんだ!!反省しろ!!」 もうお分かりであろう 悪いのはだれか? そう「のび太」である 地球博を体験して私は再確認することができた げに罪深きはのび太、その人である のび太の罪はやはり重い 2005年08月08日 (月) 22:58 22:58 * 編集
![]() 私が毎日チェックしている新聞記事がある 朝日新聞に掲載されているその記事の名前は 「名人戦〜挑戦者決定リーグ戦〜」の観戦記事だ これは囲碁の名人というタイトルに挑戦する権利を獲得するための リーグ戦なのだが、タイトルだけでは何の「名人」なのかさっぱり 解らない、またそれについての説明全くなされずに記事は進む 「一見さんはお断り」 張り紙が堂々と貼ってあるようなものだ 「帰れ帰れ!!、囲碁のルールも解らない奴に観戦記事なんか読む 資格はねえ!!」 頑固親父の店だ 当然のことながら私は囲碁をまったく知らない 知っているといえば白い石と黒い石を交互に盤に打っていくこと だけだ 将棋は「先手」と「後手」だが囲碁はなんというのか 記事には「白」と「黒」としか書いていない それはあんまりだ せめて「白組」「黒組」にしてやらないか? そんな私に名人戦を読む資格なぞありはしない 店ならつまみ出される事請け合いである しかし私はひるまない 正に「石にかじりついても名人戦を読んでやる」 と思ったのだった 正確には忘れたが黒組が完全に優勢らしく、誰がみても黒組の勝ち は明白だったはずだが黒はおそらく勝ちを確信して気を抜いていた のだろう、気がつくといつの間にか白に形勢を逆転されていたのだ った そこに飛び込んできたのは思いもかけない解説者の言葉であった 「いやあ、黒は全くの温泉気分でしたね」 「温泉気分」 ひどい、これはひどい 心身共に温泉ににつかっているというのだ ぬるま湯ではない 温泉だ 日ごろの疲れを癒す最高の場所 せわしない日常から己を解放し、日頃の疲れを慈しみ、 来るべき日常という名の戦いの場に戻る前のほんのひと時 そこにどっぷりつかっているというのだ 温泉から挙がれば山海の妙味が待っている もちろん一杯目はビールだ、発泡酒ではいけない 戦いの真っ最中なのに「温泉気分」 これほどまでに手厳しい言葉があるか 卑しくも名人戦の挑戦者決定リーグ戦である 名人に挑戦しようかというものがこれではいけない 戦う前に負けである 考えているがいい あなたが仕事で部長に呼ばれるとする 「何だこの企画書は!!温泉気分で仕事すんじゃねえ!!」 そんなことを言われたらたまったもんじゃない 「温泉気分」 そういうことなのだ、戦いの場で気を緩めることは「死」を意味 するのではない 「温泉気分」と指摘される事を意味するのだ そしてそれは「先輩、どこの温泉ですか?」とわけのわからない事 を後輩に質問されてしまうことも意味している 目も当てられない 願わくば、その温泉がインチキ温泉でなく、本当の温泉であることを 祈るばかりだ 2005年08月04日 (木) 21:15 21:15 * 編集
![]() その日は「ちょっと考えすぎてみようかな」と思ったのだった 変な日本語ではない、普段の生活で「それはちょっと考えすぎだろう」 と言われることはよくある、しかし自発的に考えすぎることはなかなか難しいものだ 「山本は何で山本か?」 は考えすぎではない、それは「意味のない考えごと」だ 考えすぎとはちと違うなぁ ・・・と思いをめぐらせていると TVで狂牛病のニュースをやっていた BSE問題でアメリカからの牛肉輸入がストップして吉野家をはじめ 牛丼屋が軒並み牛丼メニューを豚丼に変えているらしい 特に吉野家は長年続いたタレが途絶えるということで大変らしい ・・・とTVを何気なく見ていた時だった 「まてよ、牛肉より、豚肉の方がビタミン(AかBか何かは知らない) が豊富だから(多分)日本人は今までよりほんのちょっと健康になる んじゃないか?」 考えすぎだ、確かに考えすぎている、しかもほんのちょっと 私が求めていたのはまさにこういうことだった 喜び勇んで私は10年来の友人にこのことをつげた かれも確かにそれは考えすぎだという同意をしてくれたが 「でもさあ、今年の夏は台風がたくさん来て野菜が軒並み不作だった じゃん、ということは日本人のビタミンの摂取量は減るからほんの ちょっと不健康になるんじゃないの?」 考えすぎだ、これもまたちょっと考えすぎだ。思わず言ってしまいそうだぞ 「それはちょっと考えすぎではないか?」 ということは乱暴に言えば、日本人の健康は豚肉でプラス、野菜でマイナス ±Oなのか!! ・・・とここまで書いている私の中にはある一つの思いが生まれている 「あれ?このネタ始めは面白いと思ったが、いざ書くと面白くないな」 やはりネタはこねくり回すと面白みも出てしまうのだろう どうもすみませんでした こんな終わり方をするブログもなかなかあるまい いやあるかもしれない それは考えすぎというものだ |
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