
何にせよ「緩むこと」は危険である
「気の緩み」これは危険だ、運転しているときに気を緩ませるととんでもない事になる、事故にあうからだ
また、会社で緩んでいると「たるんでんじゃねぇ!!」と部長に怒られる
緩むことは危険だ
「地盤のゆるみ」これも危険だ、地盤が緩めば土砂崩れがおきる
建設会社は工事中の地盤の緩みに対して様々な対策を施しているだろう
しかし、その対策を練ってい本人の気が緩んでいれば対策も緩んだものになる
そして地盤は緩む
「たるんでんじゃねえ!!」とまたもや部長に怒られる
やはり緩みは危険だ、緩み自体が危険だけでなく、緩みは連鎖するからだ
これを「緩みの連鎖」と名づけよう
会議に出る、集中できない、気が緩む、そしてあくびがでる
緩みの連鎖はここにも現れる、誰かがあくびをすると他の誰かも必ずあくびをする
「緩みの伝染」だ、これは怖い、緩みは連鎖だけでなく伝染するのだ
いままで私たちは「緩み」に対して無防備すぎたのではないだろうか
そう、力が入っていないから無防備なのだ
もっと引き締めなければならない
しかし、力を抜いた状態が本来の姿であるともいえる
ニュートラルな状態ともいおうか、それはたしかに力は抜けている
するとこういうことがいえる
「世の中の本質はニュートラルに向かう事が基本であるならば
世の中の本質は緩んでいる」
これは恐ろしいことかもしれない
ここで考えてみよう
あなたはある本の一文を引用するときにどうしているのか?
本は開いたままでは引用できない、当然片手に本をもち、もう片方でペンをとり
読みながらノートに書き写す
しかしパソコンに打ち込むときはどうしているのか?
両手はふさがっている
押し広げて広げた状態を保とうとしても、分厚い本ならふとした拍子に本はもどる
そう、緩んでいるのだ
大変だ、どこを広げていたか分からない、また本をめくり始めるのだ
今度は広げた状態で、何か物を置くだろう、消しゴムや筆箱では心もとない、緩むから
もっと大きく重い物だ、しかしそれでは引用したいとこが読めないではないか
やはり緩むことは危険だ
しかし、今私が一番危惧している緩みはNHKだ
またNHKの社員が不正をするのではないか?と言うことを危惧しているのではない
それは毎日やってくる
「昨日、神奈川県で男がコンビニエンスストアに押し入り、現金50万円を強盗し、
逃亡の際に店の客に刃物で切りつけ、被害者は重症を負いました」
恐ろしいニュースだ、こういうことがいつ我々に襲い掛かるかもしれない
しかしキャスターは冷静に、かつ淡々とニュースを述べる。
報道の姿勢とはこういうことだろう
だがしかしその次のニュースを読む際に、キャスターは報道の原則を堂々と破るのである
「さて、本日プロ野球セ・リーグの試合は、阪神甲子園球場にて阪神-巨人戦が行われ、
阪神が求人を5-1で破り、2年ぶりの優勝を果たしました」
ここだ!この瞬間だ!、キャスターの口元を見るがいい。
緩んでいる、ほんのわずかであるが確かに緩んでいる
確かに恐ろしいニュースを口元が緩んで報道するのは問題だが
阪神優勝は緩んでいる。
うれしいニュースなのか?
ほほえましいニュースなのか?
冗談ではない、名古屋や広島でそんなことを言えば血祭りだぞ
今年は阪神が優勝したからいいものの、もし巨人が優勝しようものなら大阪は・・・
ニュースを見るときに注意することは、内容ではない、キャスターの口元だ
口元をみれば次に悲惨な事件なのかそうでないのか分かるのだ
ニュースを見るのではない、キャスターをみるのだ
緩みは本当に危険だ