酒を・・・(あと15回)

「酒を飲まない人は人生の楽しみの半分を知らない」 っていうね、じゃあ、後の半分は何でしょう? 探してみましょか、いっしょに。
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22 灯台の下は暗く血は水よりも濃い話

2005年11月15日 (火) 00:49 * 編集
yb

地下鉄のホームのベンチに座り、電車を待っていたときのことである
「ここ座る!」と小学校に入りたてと思しきガキが騒ぎながら私の横に座ってきた
うるさいガキだ

このガキは虫を捕りにいっていたのだろう、虫捕り網を持っていた
いや、正確には持っていたのはガキではなく、付き添いできたおばあちゃんだった
つまりガキはおばあちゃんと二人で虫を捕りにいった帰りなのだろう
もしかしたらこれから虫を捕りに行くのかも知れない
なぜならこの駅は住宅街のど真ん中にあるからだ
住宅街に虫はいない、夏ならば公園にも蝶が飛んでいようものだが
今は秋だ、虫はどこにいるのだ?

子供は相変わらず騒いでいる。
その騒ぎようは目に余る
ここは公共の場だ、いくらガキとはいえ、いやガキだからこそ叱っておかなくてはならない
ことであろう

「コラ!!、静かにしろ」と子供を叱った
しかしその声の主は私ではなかった

・・・・付き添いのおばあちゃんだった
しかも、である

彼女はその言葉と同時にガキの頭に虫捕り網をかぶせたのだ
ガキの頭は虫捕り網にスッポリ収まった

虫捕り網の目的は虫捕りではなかったのだ
すさまじい教育だ
そこには一切の言い訳を認めない厳しい祖母の姿がある

頭にスッポリ虫捕り網をかぶせられた人間は、たとえ彼が成人であろうと
よしんば総理大臣であろうとその状態で発する言葉に説得力は微塵もない

普通、祖母と言えば 孫を溺愛してしかるべきだ
しかし彼女はその愛におぼれることなく厳しく孫を育てている
そこには「男なら言い訳をするな」とも言うかのようだ

孫だからこそ、きちんと躾けなくてはならない
そこに見るのはまさに「水よりも濃い血」からくる責任感だろう
見上げたものだ

しかしもう少しやり方はなかったのだろうか・・・

23 「21」と言う誘惑

2005年11月08日 (火) 00:15 * 編集
1986

現在、日本の会社名で最も多く使われている数字は21なのであろう

言わずもがな21世紀にちなんでいる事は明らかである

「21」を使えばあたかも時代に乗っているといわんばかりだ

21が入っているといって、正直そんなに時代に乗っている感はしないのだが、
やはりそこは時代の持つ空気がそうさせるのであろうか
新しく会社を興した経営者は「21」を使ってしまうのだった

「にじゅういち」と読むものはまだいい、「トゥエンティワン」などど
読んでしまった日には大変だ
言いにくい

その昔、「1986オメガトライブ」というグループがいた
このグループの読み方が
「ナインティーンエイティシックスオメガトライブ」
読めたものではない
彼らの事務所にはファンからの手紙が殺到したであろう

「言いにくいです」
「いちきゅうはちろくオメガトライブと呼んでいいですか?」

社長も考えたのだろう、しばらくして名前を変えた
「カルロス・トシキ&オメガトライブ」
ずいぶん言いやすくなったものだ

しかし改名をしてしばらくして彼らは時代の波に飲まれていった
改名すべきではなかったのだ

これから我々が学べるのは唯一つだ
「カルロス・トシキという奴がボーカルだ」

その指摘はおそらく正しい
しかし全ての「個人名+グループ名」の個人名がボーカルだとおもったら大間違いだ

「内山田洋(うちやまだひろし)とクールファイブ」を見てみるがいい

ts



一人だけ衣装の違う男がいる、彼が内山田洋か?
ばかもの!よく見るがいい

彼は前川清だぞ

大体「内山田」という苗字はなんだ、内山でも、山田でもいけるぞ
かっこいいじゃないか

しかし時は経つものだ
後80年もすれば時代の流れは『22』に移る
「あれ?、もうすぐ22世紀だな、それじゃ22を使わなきゃな」
雨後のたけのこだ
80年後の世界は22で溢れている

しかし内山田は内山田だ
内山田のカッコよさにはかなわない
誰が内山田洋か当ててみろ!

わかるまい

内山田洋のカッコよさはそのインパクトのある名前とは裏腹に
どこまでも控えめなその存在である
22世紀を向かえ、地球温暖化から大都市がたとえ砂漠になろうとも
人々の心が乾ききろうとも内山田洋は必ず、そしてひっそりと貴方の傍にいるのだ

1000%保障する

24 読書の秋

2005年11月07日 (月) 01:12 * 編集
ob

秋である
秋と言えば読書の秋
たまには読書をしてみよう
そうだな〜(のび太効果今回は意味無し
シェークスピアでも読んでみようか

シェークスピアをご存知か?
そう、かの有名なイギリスの文豪である
当然のことながらシェークスピアは英語で書いてある
当たり前だ

中学生のときに学校で英語を習ったときの事を思い出して欲しい
当然のことながら身の回りの簡単な英単語から覚えて行くことになるのだが
「おや?」と思ったのは「brother」と言う単語であった
「兄弟」であり決して「兄」や「弟」ではないらしい
無理に兄と言いたければelder brotherとある言葉をくっつけるらしいが
そのときの英語の教師の言葉は私には衝撃的であった

「英語では兄弟であることがわかれば兄か弟かは、さほど重要ではないのです」

兄弟のままで、それでよしとする感覚
つまり「上か下かは重要でない」のだ

日本人には考えられない話だ
ここで考えられることは
「上か下かは重要でない」感覚があるのであれば
他にももっとすごいことになっているのではないか?

そうである、上下とくれば左右である
「右か左かは重要でない」感覚もこの広い世界では存在するのではないか?

「右か左かは重要ではない」感覚
道があればこの感覚は霧散する
道が二つに分かれれば人は考えるであろう
「右か、左か」
駄目である

「最近視力が落ちてきたな、メガネでも作るか」
ああ、これも駄目だ
眼鏡屋に行ってみようものなら、あっという間に視力を測られてしまうぞ!
店員が「まず左の目から測ります」と聞く
貴方はいえるのか?

「右か左かは重要ではない」と

言えまい

よしんば言ったとしても店員に
「それではメガネは作れません、こちらの目から測ります」と片方の目を無理やり計測機器
の前にさらされるのが落ちである

店員はまたも言う「輪のどこか一方が切れていますね、どの方向ですか?」
幸いに上か下が切れていれば答えることも可能であると言うものだ
だがしかし、右か左が切れている時はどうする

言うのか?

「右か左かは重要ではない」と

言ってはいけないのだ
それは我々の住む世界は「右か左かはものすごく重要だから」だ

右か左かは重要でない世界に行ってみたいものだ
アフリカの大草原には道はない、狩をする種族は視力がやたらと良い
視力検査の必要もない
アフリカの大草原に行って見るがいい

右や左は重要でないのだ

しかし注意が必要だ
自分の視界の外からそっと肉食動物が貴方を狙っているかも知れない
気がつけば貴方の真後ろから貴方を狙っているかも知れない

うかうかしていると食われてしまうぞ


「生きるか、死ぬか」それが問題だ
 

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