酒を・・・(あと15回)

「酒を飲まない人は人生の楽しみの半分を知らない」 っていうね、じゃあ、後の半分は何でしょう? 探してみましょか、いっしょに。
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15 ヒルコ・ノーシュー

2006年04月11日 (火) 12:58 * 編集


いま、混迷の度合いを深めているのはハンバーガー業界なのではないだろうか?
外食産業の中でもファーストフード業界の競争は熾烈もきわめているようだが
私がよく利用するのはモスバーガーだ

モスバーガーは旨い、旨い上にメニューが豊富だ、常に新しいメニューを試みている姿勢はすばらしい
しかし先日奇妙なメニューを発見したのだった

「カツカレー」


少しめまいがした、いつからモスバーガーはカレー屋になってしまったのだろう
写真をみてまたびっくりだ
半焼きのご飯がパンの替わりをつとめ、その間にカツ、野菜連中がいて、最後にカレーだ

「ほんのちょっとのカレー」

果たしてこれはカレーと呼ぶべき代物なのだろうか
カレーが乗っているからカレーだ、などという戯言を私が聞くと思ったら大間違いだ

カレーが占めている割合など10%もないではないか
カレーカツならまだ許せるというものだ

「それは言葉を逆にしただけだろう」という指摘はもちろん却下だ
そんなバカな事を言う奴にはこう問いかければよい

「では君は「いい奴だが馬鹿」と「馬鹿だけどいい奴」は同じというのだね?」
と思わず「ワトスン君?」とつなげてしまいそうな言い回しだが、私はどうせ言われるのであれば
「馬鹿だけどいい奴」を選ぶと思う
なぜなら結局そいつはどんな奴だと言えば「いい奴」になるからだ

同様に「美人だけどブス」と「ブスだけど美人」といった矛盾を含む言葉も同時に成立させる力を持っている
その秘密は逆説を含む「だけど」にあるとおもう
「ヘタウマ」ということばがある
「下手だけど、巧い」
よく例に出るのが蛭子能収の漫画だ
巧くはないが味がある、とでも言おうか、いや違う

だいたいなんだ蛭子能収とは
一発で「エビスヨシカズ」と読める人がいるのか?

おりまい
せいぜい「ヒルコノーシュー」が関の山だ

だが「ヒルコノーシュー」という言葉がフランスの有名な食器デザイナーだ、と言われれば
それはそれでそれなりの雰囲気をかもし出していることに我々は否定できない

「ヒルコノーシューの皿」
なんだかそれっぽい

毎年春になればヤマザキ製パンの「ヤマザキ春のパン祭り」が催される
パンについているシールを集めてフランス製の皿を手に入れよう!といったものだ
それのどこが「祭り」と関係があるのかはよく解らないが

来年からは「ヒルコノーシューの皿」にしてみればどうだろうか?
間違っても「蛭子能収の皿」としてはいけない

何やらヘタウマな絵が皿の底に書いてある
シチューを食べていると次第にその絵がでてくる

せっかくの旨いシチューもまずくなってしまうというものだ
さしづめ「ウママズ」だろう

旨いナマズ、ではない
意味がわからない

16 丸ごと、でる

2006年04月10日 (月) 17:20 * 編集


なにしろ「丸出し」なのだ
この潔さがいいではないか
「丸ごと、出る」のだ

「頭隠して、尻隠さず」とは大違いだ

さしづめ「頭も出して、尻も出す」だ
それでこそ「丸出し」だ

潔い

潔い言葉がその潔さを発揮するのは命令形になったときに顕著である

「丸ごと出せ!」
といわれれば人は
「ちくしょう、俺だってやってやるぞ、やるんだ俺は、男になるんだ!」
といったやけくそ感が出る

そう、「丸出し」
は「やけくそ」から出発し、その結果得られるカタルシスを得る行為と言えよう
その過程で必ず訪れる段階は「日常からの脱却」だ
「非日常への飛翔」
人生の醍醐味だ

バカ丸出しな人間を、我々は笑うことは出来ない
なぜなら、彼は「突破者」であるからだ

我々もなにか丸出しにしたいものである
丸出てこその人生だ

17 うだつの上がらない男

2006年04月10日 (月) 14:12 * 編集


うだつの上がらない男とはどんな男なのであろうか?
仕事も出来ず、いまいちシャキっとしていない男を連想させるが
そもそも「うだつ」とは何だ?
「もだつ」ではだめなのだろうか?
ダメっぽさを表すのであれば「へだつ」の方がへっぴり腰ぶりがでていいのであろうが

うだつの上がらない男がいるのであれば
うだつの上がる男もいるのだろう

「うだつの上がる男」

違いのわかる男、のようだ
しかし違いのわかる男はイメージもつくものだが、
やはり問題は「上がっている、うだつ」のようだ

うだつのあがる男は、高く高くうだつをあげているのであろう
「おれだっていつかは高くあげてやるさ、富士山よりもエベレストよりも高く上げるんだ!」
その高くあげたうだつをどうするというのだろう?
そんな奴のうだつがあがってたまるものか

悔しかったら、つべこべ言わずあげてみろ!


18 進化の末路

2006年04月08日 (土) 22:09 * 編集


我々人類が現在の姿になるまでに数百万年かかったといわれている
何も人類だけでなく生きとし生けるもの全てが絶えず少しづつ変化を遂げている
今現在の我々があるのは数百万年、いや生物が誕生した数億年前からの絶え間ない変化の結果なのであろう
このことは普段の話でも起こりうることである

今では聞かれなくなった言葉であるが「男は40代になったら自分の顔に責任をもて」
といわれたものらしい

「男は顔が履歴書だ」
含蓄深い言葉である

顔を見れば、今まで何をやってきたか一目でわかるというのだ

では女性の顔はなんなのであろうか?

独断と言われても仕方がないが、一般的に女性は化粧をする
「化粧」ばけて、よそおうのだ、これほどはっきり表している言葉も珍しい
女性は社会的に物心ついたころから化粧をする
毎日毎日化粧をする

化粧品の原価率は低い、一説によると0.6%らしい、
つまり1000円の化粧品の原価は6円だ
逆にいえば化粧品はそれだけ高いともいえる

その高い化粧品を毎日毎日塗っては落とし、塗っては落とす
そういう意味では「女の顔は領収書」ともいえるのであろう

「女の顔は領収書」
哲学的ではないか

今まで男にねだってきたブランド品も
食事代も旅行費も
女性の顔を見れば全てわかるのだ

阿木耀子は「女性は一度くらい容姿で飯を食ってもいいはずだ」と言ってモデルをやった
この話の真偽はともかく、女性の容姿は経済に結びついている可能性は否定できない

もう一度言う「女の顔は領収書」

哲学的である
なんとなく

19 運動不足とその理由について

2006年04月07日 (金) 20:56 * 編集



十人十色という言葉に現われるように、人間はそれぞれ異なる考え方を持つものだ
しかし「運動不足はよくない」という考え方にはみな異論がないのではないか?
今回は運動不足について考えてみたい

よく考えれば運動不足という言葉は不思議な力を持っている

「あなたは運動不足です」といわれた場合、99%の人間は受け入れてしまうだろう

例えば医者にこういわれたとしよう
「背中の筋肉が弱ってますね、運動不足です」
そういわれたら「そうだよな、俺不足してたよ、運動」
と反省せざるをえず、そこにはなにやら「野菜不足」に共通する
「解ってはいるんだけどなあ、ついついやっちゃうよ」といったうっかり感が漂う
そう、そのうっかり感がくせものだ
うっかり感は決して人を強く否定はしない
やんわりと真綿で首を締め付けるように人をダメにしてゆく

また医者こういわれたらどうだろう?
「インフルエンザですね、運動不足です」
運動不足により内臓の働きが弱り、抵抗力が落ちるのだ

まだある
「こりゃひどい虫歯ですね、運動不足です」と一見無関係と思われることをいわれても
運動が足りなければ、虫歯菌もはびこるものだ、運動が不足している体にもはや抵抗する力はない

こう考えると、運動不足はあらゆる結果の原因になり、また運動不足を原因とした結果に対して
我々は抵抗する術を失う、完全に思考が停止する

部下に「すみません、遅刻しました 運動不足です」
といわれれば「それは仕方ないな」と言わざるを得ないだろうし
「今月いっぱいで会社を辞めさせていただきます、運動不足ですから」
といわれれば、どんなに彼を説得しても無駄であろう
民主党の混乱はおろか、偽メール問題も、そもそもは手軽で便利であるからと手紙も書かず、郵便ポストまで歩きもせず
電子メールばかりやっているからだ

考えようによっては便利な言葉だ
「運動不足だから俺と結婚してくれ」とプロポーズも出来れば
「先輩、おごってくださいよ、運動不足なんです」と言えばタダ飯にありつける

しかしどうしても結婚したくない相手に
「運動不足だから、結婚してくれ」と言われればどうすればいいのか?
簡単である「ごめんなさい、運動不足ですから」と断ればいい

運動不足を解消するためには運動しかない
あたりまえの話だがそれが出来ないから運動が不足するのだ


「一億総運動不足だバカモノ!!」
といわれても頭に来る奴はいないだろう
もちろん運動不足だからだ
運動不足の根は深い

当たり前の話だが
運動音痴は運動不足になる
運動をしないからだ
つまり運動音痴はそれだけで運動不足である

存在が既に運動不足
もしそんな奴がいるとすればなんと罪深い奴であろう

ここまでくれば今回の締めも読めてくるであろう

奴は存在する

一億総運動不足の原因を作ったのはだれか?
運動音痴の象徴としての存在はだれか?
真の黒幕はだれなのか!!

そうのび太である

the・運動音痴であるのび太はわれわれ日本人の不健康の根源だったのだ
のび太の罪はやはり深い

20 余計な詮索は無用である

2006年04月06日 (木) 00:44 * 編集
wbc

WBCでの日本の活躍はすばらしいものだった
5勝3敗で世界一というのも少々怪訝な感じがするが
劉邦は最後の1勝で天下統一だから「終わりよければすべてよし」なのであろう

ところでWBCに始まったことではないが、野球を見てふと気づいたことがある

ピッチャーがボールを投げる
キャッチャーがそのボールを受ける
あらかじめ決められたゾーンをボールが通過すれば、審判は「的中」を意味する「ストライク」を宣言する
しかしここで奇妙なことが起こる

ゾーンを外れた場合に審判は発する言葉は「ボール」だ

「ボール」

あたりまえだ、ボールなんだから
ゾーンを外れたボールはただのボールでしかない
しかしこう捉えると何やら哲学的な響きを持ってくる

「ボールは時として、ただのボールでしかない」

「ボール!」と審判が宣言するたびに我々はボールそのものに向き合うのである

これが相撲だったらどうだろう、先日行われていた春場所では優勝決定戦で朝青龍が白皇を破り
見事優勝を遂げた、朝青龍は堂々たる横綱であるが負けた白皇はどうであるか?

「力士」である

あたりまえだ、力士なんだから
しかし、このことは我々に根本的な問いかけの機会を与えてくれる
土俵を割った力士、土俵に土ついた力士はただの力士でしかないが
よくよく考えれば「力士」というネーミングもすごくないだろうか?

弁護士、他人を弁護する職業である
一級建築士、建築の設計に携わる職業である、しかも一級だ
二級土木施工管理技士、土木施工に携わる職業だ、二級だけど

改めて「力士」を考えると直接的かつ短絡的なネーミングであるが
力に携わる職業だ

ここで疑問がわく
力士ががレンタルビデオ屋に行く、入会申込書には職業欄がある
ここで彼らは書くのであろうか?

「力士」と

それを見たレンタルビデオ屋のアルバイトはどう思うのであろうか?
何しろ力士である、でかい、マゲを結っている、一目見ればわかるだろう
バイトはこう思うのであろう「やっぱりな」

しかし、マゲも結っておらずガリガリにやせて、毎日が激務なのであろう、顔色も悪く、
しかも着物でなくスーツを着た男が職業欄に「力士」と書いてきたらこうおもうだろう
「ホントかよ?」
こう思うかもしれない
「ウソをつけ」と


あるいは新聞の投書欄に「最近の若者達は怖い、渋谷のセンターを歩いているといつオヤジ狩にあうかとビクビクしている(65才、力士)」
とあっても我々は困惑する
それは「元」力士ではないのか?といった年齢に対する疑念ではなく
「力士」という職業に対する我々の固定観念だ

いや違う、それは「力」そのものに対する固定観念かもしれない
固定観念はよくない
なぜなら、「力」は時としてただの「力」でしかないからだ

そんなことはどうでもいいが、何よりも私の興味は
レンタルビデオで力士が何を借りるのであろうか?
アダルトビデオだったらどうするのか?

興味は尽きないが、力士は時としてただの力士でしかない
余計な詮索は無用だ
 

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